搭乗レビュー
2017年帰国旅行1便目-初めて乗ったエールフランス
- 航空会社
- エールフランス航空
- 便名
-
AF347
エコノミー
- 搭乗日
- 2017/03
- 路線
- モントリオール → シャルル・ド・ゴール(パリ)
- 機体記号
- F-GZNT
- 機材
- Boeing 777-328/ER
- 口コミ投稿者
- MaplecroftInnkeeperさん
搭乗写真
総評
僕の住むアメリカのバーモント州には大型機が発着するような空港はないので、隣町のバス停からグレーハウンドのバスに乗って、5時間ほどかけてカナダのモントリオール空港に行きました。バス代は片道22ドルでした。
搭乗までかなり時間があるし、昼食もろくに取っていないので、ゲート近くの有料ラウンジを利用することにしました。滑走路の見えるところに席を取って、軽食をいただきながらホッと一休み。色々な飛行機をボーっと眺めながら、そうか、今回は初めてエールフランスに乗るんだっけと思い巡らせました。
エールフランスが誕生したのは1933年8月のことで、第一次大戦後にぽろぽろと登場したエアーメールの輸送会社が、経営強化のために合併を繰り返した結果でした。フランス製の新しい航空機を導入してスピードアップを図ったとはいえ、時速250キロ程度で、1938年当時、マルセイユからサイゴンまで6日間かけて飛行しました。
第二次大戦の終わった1945年に、エールフランスは国営企業となります。1946年にはパリ‐ニューヨーク便が就航して、シャンパンやホットミールなどが豪華に振る舞われました。当時、ニューヨーク便はDC4型機で運航され、所要19時間50分かかったと言われていますが、1960年にはジェット機のB707が導入され、ニューヨークまでの所要時間は8時間10分と半分以下に短縮されました。
1970年以降、B747、A300、B737など、どんどんと新しい機材が導入されましたが、エールフランスが導入した機材で一番輝かしかったのは、なんといっても1976年に英国航空とともに導入したコンコルドですね。第1便は、パリからリオデジャネイロまでの航路で、同じ年にアメリカのワシントンDCにも就航しました。コンコルドの運航は2003年5月で終了しましたが、初めてリオに飛んだ機体(F-BVFA)は現在、ワシントンのダレス空港近くにあるスミスソニアン宇宙航空博物館に寄付されて展示されています。
エールフランスと言えば、上品で高級なイメージがあって近寄りがたかった記憶があるので、チェックインカウンターの前に立った時から、なんとなく緊張してしまいましたけど、優しそうな笑顔で対応してくれて、緊張もほぐれました。この便の機材はB777-300ERで、機材年齢が1年程度と、エールフランスのフリートの中でもかなり新しい方で、機内もきれいです。中に乗り込み、あらかじめ指定しておいた後ろの方の2人掛けの窓側席に一人座ります。朝早く家を出たのに、飛行機が動き出す頃はもうすでに日が暮れていました。機内はかなり混んでいる様子でしたが、ラッキーにも、自分の隣の席は空いていました。
あらかじめウェブで注文しておいた有料の機内食をもらって、一人でムシャムシャ。フランスの味か・・・なんて思いながらワインと共に。こうして、一人飛行機の座席に座って、これから始まる旅の事を楽しみに考える時間って、最高の幸せだと思いました。
評価的なことを少々書くと、エールフランスは地上係員もCAさんもフレンドリーで親切ではあるけど、サービスは、よく言えばしつこくなくて淡白な感じ、悪く言えば最低限。日系だったら、例えば、「これからお飲物のサービスに引き続き、温かいお食事をお持ちします。」などとアナウンスをしますけど、そういうのは一切なく、飛行時間が短くて、出発時間も夜7時半と、北米人にとってはやや遅めだったせいか、食事前のドリンクサービスもありませんでした。(シャンペンを期待していた自分にとってはややがっかりでした。)免税品の販売なども、大西洋路線ではほとんどしませんね。僕は全く興味ないので全然構いませんけど、きっと日本路線だけかもという気がします。それと、なんとなく品のいい雰囲気はありました。トイレもきれいに保たれていて、到着1時間前に用足しに行ったら、きちんと掃除してあってほのかに香水の香りがしていました。乗客も、特にマナーの悪い人もいない様子でしたし、安心して落ち着いて乗っていられるような感じでした。
搭乗までかなり時間があるし、昼食もろくに取っていないので、ゲート近くの有料ラウンジを利用することにしました。滑走路の見えるところに席を取って、軽食をいただきながらホッと一休み。色々な飛行機をボーっと眺めながら、そうか、今回は初めてエールフランスに乗るんだっけと思い巡らせました。
エールフランスが誕生したのは1933年8月のことで、第一次大戦後にぽろぽろと登場したエアーメールの輸送会社が、経営強化のために合併を繰り返した結果でした。フランス製の新しい航空機を導入してスピードアップを図ったとはいえ、時速250キロ程度で、1938年当時、マルセイユからサイゴンまで6日間かけて飛行しました。
第二次大戦の終わった1945年に、エールフランスは国営企業となります。1946年にはパリ‐ニューヨーク便が就航して、シャンパンやホットミールなどが豪華に振る舞われました。当時、ニューヨーク便はDC4型機で運航され、所要19時間50分かかったと言われていますが、1960年にはジェット機のB707が導入され、ニューヨークまでの所要時間は8時間10分と半分以下に短縮されました。
1970年以降、B747、A300、B737など、どんどんと新しい機材が導入されましたが、エールフランスが導入した機材で一番輝かしかったのは、なんといっても1976年に英国航空とともに導入したコンコルドですね。第1便は、パリからリオデジャネイロまでの航路で、同じ年にアメリカのワシントンDCにも就航しました。コンコルドの運航は2003年5月で終了しましたが、初めてリオに飛んだ機体(F-BVFA)は現在、ワシントンのダレス空港近くにあるスミスソニアン宇宙航空博物館に寄付されて展示されています。
エールフランスと言えば、上品で高級なイメージがあって近寄りがたかった記憶があるので、チェックインカウンターの前に立った時から、なんとなく緊張してしまいましたけど、優しそうな笑顔で対応してくれて、緊張もほぐれました。この便の機材はB777-300ERで、機材年齢が1年程度と、エールフランスのフリートの中でもかなり新しい方で、機内もきれいです。中に乗り込み、あらかじめ指定しておいた後ろの方の2人掛けの窓側席に一人座ります。朝早く家を出たのに、飛行機が動き出す頃はもうすでに日が暮れていました。機内はかなり混んでいる様子でしたが、ラッキーにも、自分の隣の席は空いていました。
あらかじめウェブで注文しておいた有料の機内食をもらって、一人でムシャムシャ。フランスの味か・・・なんて思いながらワインと共に。こうして、一人飛行機の座席に座って、これから始まる旅の事を楽しみに考える時間って、最高の幸せだと思いました。
評価的なことを少々書くと、エールフランスは地上係員もCAさんもフレンドリーで親切ではあるけど、サービスは、よく言えばしつこくなくて淡白な感じ、悪く言えば最低限。日系だったら、例えば、「これからお飲物のサービスに引き続き、温かいお食事をお持ちします。」などとアナウンスをしますけど、そういうのは一切なく、飛行時間が短くて、出発時間も夜7時半と、北米人にとってはやや遅めだったせいか、食事前のドリンクサービスもありませんでした。(シャンペンを期待していた自分にとってはややがっかりでした。)免税品の販売なども、大西洋路線ではほとんどしませんね。僕は全く興味ないので全然構いませんけど、きっと日本路線だけかもという気がします。それと、なんとなく品のいい雰囲気はありました。トイレもきれいに保たれていて、到着1時間前に用足しに行ったら、きちんと掃除してあってほのかに香水の香りがしていました。乗客も、特にマナーの悪い人もいない様子でしたし、安心して落ち着いて乗っていられるような感じでした。
フライトログ
搭乗の詳細データです。
- 座席番号
- 52A
- 搭乗クラス
- エコノミー
- 区間マイル
- 3,430
- 出発予定時刻
- 19:20
- 到着予定時刻
- 7:15
- 予定飛行時間
- 6:55
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