航空会社 フィンエアー(フィンランド航空)
- 国
- フィンランド
- IATA | ICAO
- AY | FIN
- メンバー評価
- 搭乗レビュー 3.99 [282件]
- アライアンス
- ワンワールド
搭乗レビュー
2019年秋の帰国旅行3便目-30年前の怖い体験についてやっと口を開いたフィンエアー
搭乗写真
総評
フィンエアーと言えば、あのインテリアや洋服などのかわいらしいデザインで知られるマリメッコが頭に浮かびます。機内やアメニティなどいろんなところにこのマリメッコのデザインが施されているフィンエアーは、どことなくかわいらしい印象がありますね。
そのフィンエアーの歴史は意外に古く、1923年にさかのぼります。エストニアの航空会社のフィンランドへの運航を担当していたヘルシンキ生まれのブルノ・ルカンダ-氏が、ユンカー社と交渉の末、航空機を提供してくれたら、新エアラインのシェア50%を提供するということで話がまとまり、新エアライン「Aero OY」の設立となりました。フィンエアーのコード「AY」は、この当時の名前からきています。最初のフライトは、1924年3月で、ヘルシンキからエストニアのタリンでした。
第二次大戦後、1946年にフィンランド政府がシェアを買い取って国営とし、翌年1947年からロンドンなど、ヨーロッパ各地への航空便を運航し始めます。そして1953年に正式名がフィンエアーとなりました。1969年にはアメリカ製のジェット機、DC8型機を購入して、初めての大西洋航路としてJFKに就航しました。1983年には、DC10型機でヘルシンキから東京に直行便を就航して、これが西ヨーロッパから日本への初めての直行便になりました。日本とも非常になじみが深いということですね。それまで西ヨーロッパと日本との間は、アンカレッジ経由か、モスクワ経由しかありませんでしたが、ソ連領内のシベリア上空を飛行するには、高い通行料が課される上に、モスクワに一旦止まらなくてはならなかったので、ほとんどのエアラインは余計に時間のかかるアンカレッジ経由の航路を取っていました。JALは、1967年にアエロフロートとの共同運航でモスクワ便を就航していますが、西ヨーロッパまではやっぱりアンカレッジ経由だったと思います。フィンエアーは、DC10 -30ERという、予備燃料タンクを積んだ長距離型旅客機を導入したこともあり、ソ連の領空を避けて、北極を通り、ベーリング海を南下するルートを取って、直行便が実現したわけですが、実は、モスクワ経由でも、北極回りでも、所要時間は13時間とほぼ同じだったのです。で、フィンエアーが北極回りにした理由というのは、なぜかよくわかりませんけど、日本政府(JAL)がそれを強く要求したためらしいです。モスクワ便を飛ばしているJALをかばうためか、もしくは、日本人乗客を乗せてソ連上空を飛行することに、何か反対理由があったためか、その辺のところはわかりません。
ですが、1986年にソ連がエールフランスとJALに、ソ連領空を通過してパリ‐東京の直行便を認めたことで、西ヨーロッパと東京を結ぶフィンエアーの優越性はなくなってしまいました。
さて、フィンエアーは、JACDECの統計によると2018年度世界で最も安全なエアラインと位置づけられています。少なくとも1960年代から大きな事故は起こしていません。それだけ、パイロットの訓練や機材の整備が行き届いているということですね。ですが、1987年12月に、ちょっと怖い事件が起こっているのです。クリスマスの2日前、12月23日に、AY915 便として日本の成田空港を出発したフィンエアーの飛行機は、例によって北極回りのルートを取っていました。この飛行機、アメリカからリースした機材でレジもアメリカのものでした。
出発して9時間か10時間経過したころ、パイロットが目撃したところによると、ロケットのようなものが飛んできて、ちょうどこの便の飛行経路に入り、空中で爆発したのです。ソ連のミサイルだったらしいのですが、爆発した20秒後に、このフィンエアーの飛行機はその爆雲の中を通過しました。ということは、ほんの少し時間がずれていたら、ミサイルに撃ち落されていたことになります。これは2014年にフィンランドのメディアが当時のパイロットの証言をもとに報道したものですが、この事件のことについては、当時は公にも政府機関にも報告されずにもみ消されていました。2014年の7月に、マレーシア航空17便がウクライナ上空でロシアのミサイルに撃ち落されていますが、その事件を知った当時の副操縦士が、これをきっかけに当時の事件のことについて、口を開く決心をしたとのことらしいです。
きっとこの便には、日本人乗客も多く乗っていたのに違いありません。ロシアって怖いですね。でも、ほんの2年前に、東京-モスクワ便開設50周年の式典が開かれて、JALとアエロフロートが共同で色々な文化的な交流をしたり、少なくともうわべのレベルでは仲良くしているように見えるし、日本人がロシアに狙われるようなことはあってほしくないですね。
と、不吉なことを書きましたけど、今回搭乗したのは、フランクフルトからヘルシンキまでの欧州内路線ですから、変な心配することはないですよね。初めて搭乗したフィンエアーですが、今回乗った飛行機がすべてほぼ満席で窮屈な思いをした中、唯一この便だけはやや余裕があり、3人掛けの真ん中が空席になっていて快適でした。機内もとてもきれいだったし、ある種の品の良さを感じました。同じワンワールドのBAやIBなどと同じく、機内サービスがほとんど有料になっているのがLCCっぽくて味気ないですが、まあ機内販売だと豊富な品数の中から欲しいものを選べるという利点もあります。ちょうどお昼時だったので、食事になるようなものをと思い、サンドイッチを買ってみました。といっても、ごく小さい素朴なもので、おやつ程度にしかなりませんでしたけど。コーヒーや、珍しいブルーベリージュースなど無料でもらえる飲み物もありました。
バルト海を渡ってフィンランドの地が下に見えてくると、地面がうっすらと雪で白くなっているのが見えました。気温はマイナス。やっぱり北欧は寒いんですね。飛行機は予定より20分ほど早く到着し、フィンランドの地に初めて降り立ちました。
そのフィンエアーの歴史は意外に古く、1923年にさかのぼります。エストニアの航空会社のフィンランドへの運航を担当していたヘルシンキ生まれのブルノ・ルカンダ-氏が、ユンカー社と交渉の末、航空機を提供してくれたら、新エアラインのシェア50%を提供するということで話がまとまり、新エアライン「Aero OY」の設立となりました。フィンエアーのコード「AY」は、この当時の名前からきています。最初のフライトは、1924年3月で、ヘルシンキからエストニアのタリンでした。
第二次大戦後、1946年にフィンランド政府がシェアを買い取って国営とし、翌年1947年からロンドンなど、ヨーロッパ各地への航空便を運航し始めます。そして1953年に正式名がフィンエアーとなりました。1969年にはアメリカ製のジェット機、DC8型機を購入して、初めての大西洋航路としてJFKに就航しました。1983年には、DC10型機でヘルシンキから東京に直行便を就航して、これが西ヨーロッパから日本への初めての直行便になりました。日本とも非常になじみが深いということですね。それまで西ヨーロッパと日本との間は、アンカレッジ経由か、モスクワ経由しかありませんでしたが、ソ連領内のシベリア上空を飛行するには、高い通行料が課される上に、モスクワに一旦止まらなくてはならなかったので、ほとんどのエアラインは余計に時間のかかるアンカレッジ経由の航路を取っていました。JALは、1967年にアエロフロートとの共同運航でモスクワ便を就航していますが、西ヨーロッパまではやっぱりアンカレッジ経由だったと思います。フィンエアーは、DC10 -30ERという、予備燃料タンクを積んだ長距離型旅客機を導入したこともあり、ソ連の領空を避けて、北極を通り、ベーリング海を南下するルートを取って、直行便が実現したわけですが、実は、モスクワ経由でも、北極回りでも、所要時間は13時間とほぼ同じだったのです。で、フィンエアーが北極回りにした理由というのは、なぜかよくわかりませんけど、日本政府(JAL)がそれを強く要求したためらしいです。モスクワ便を飛ばしているJALをかばうためか、もしくは、日本人乗客を乗せてソ連上空を飛行することに、何か反対理由があったためか、その辺のところはわかりません。
ですが、1986年にソ連がエールフランスとJALに、ソ連領空を通過してパリ‐東京の直行便を認めたことで、西ヨーロッパと東京を結ぶフィンエアーの優越性はなくなってしまいました。
さて、フィンエアーは、JACDECの統計によると2018年度世界で最も安全なエアラインと位置づけられています。少なくとも1960年代から大きな事故は起こしていません。それだけ、パイロットの訓練や機材の整備が行き届いているということですね。ですが、1987年12月に、ちょっと怖い事件が起こっているのです。クリスマスの2日前、12月23日に、AY915 便として日本の成田空港を出発したフィンエアーの飛行機は、例によって北極回りのルートを取っていました。この飛行機、アメリカからリースした機材でレジもアメリカのものでした。
出発して9時間か10時間経過したころ、パイロットが目撃したところによると、ロケットのようなものが飛んできて、ちょうどこの便の飛行経路に入り、空中で爆発したのです。ソ連のミサイルだったらしいのですが、爆発した20秒後に、このフィンエアーの飛行機はその爆雲の中を通過しました。ということは、ほんの少し時間がずれていたら、ミサイルに撃ち落されていたことになります。これは2014年にフィンランドのメディアが当時のパイロットの証言をもとに報道したものですが、この事件のことについては、当時は公にも政府機関にも報告されずにもみ消されていました。2014年の7月に、マレーシア航空17便がウクライナ上空でロシアのミサイルに撃ち落されていますが、その事件を知った当時の副操縦士が、これをきっかけに当時の事件のことについて、口を開く決心をしたとのことらしいです。
きっとこの便には、日本人乗客も多く乗っていたのに違いありません。ロシアって怖いですね。でも、ほんの2年前に、東京-モスクワ便開設50周年の式典が開かれて、JALとアエロフロートが共同で色々な文化的な交流をしたり、少なくともうわべのレベルでは仲良くしているように見えるし、日本人がロシアに狙われるようなことはあってほしくないですね。
と、不吉なことを書きましたけど、今回搭乗したのは、フランクフルトからヘルシンキまでの欧州内路線ですから、変な心配することはないですよね。初めて搭乗したフィンエアーですが、今回乗った飛行機がすべてほぼ満席で窮屈な思いをした中、唯一この便だけはやや余裕があり、3人掛けの真ん中が空席になっていて快適でした。機内もとてもきれいだったし、ある種の品の良さを感じました。同じワンワールドのBAやIBなどと同じく、機内サービスがほとんど有料になっているのがLCCっぽくて味気ないですが、まあ機内販売だと豊富な品数の中から欲しいものを選べるという利点もあります。ちょうどお昼時だったので、食事になるようなものをと思い、サンドイッチを買ってみました。といっても、ごく小さい素朴なもので、おやつ程度にしかなりませんでしたけど。コーヒーや、珍しいブルーベリージュースなど無料でもらえる飲み物もありました。
バルト海を渡ってフィンランドの地が下に見えてくると、地面がうっすらと雪で白くなっているのが見えました。気温はマイナス。やっぱり北欧は寒いんですね。飛行機は予定より20分ほど早く到着し、フィンランドの地に初めて降り立ちました。
フライトログ
搭乗の詳細データです。
- 座席番号
- 15A
- 搭乗クラス
- エコノミー
- 区間マイル
- 954
- 出発予定時刻
- 11:35
- 到着予定時刻
- 15:10
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