航空会社 JAL (日本航空)
- 国
- 日本
- IATA | ICAO
- JL | JAL
- メンバー評価
- 搭乗レビュー 4.08 [8,365件]
- アライアンス
- ワンワールド
搭乗レビュー
2017年秋の帰国旅行5便目:あの時の感動をもう一度
- 口コミ投稿者
- MaplecroftInnkeeperさん
搭乗写真
総評
この便に乗ることにしたいきさつはこんな感じです。
帰国中の小さな旅として、以前から興味があった関西空港にある機内食のレストラン、「レジェンド・オブ・コンコルド」に行ってみたいと思いました。ところが、羽田⇒関西は便数が少なく、ちょうどいい時間に到着する便がありません。そこで、伊丹便を見たら、ANAもJALもたくさん飛んでいます。ではどちらにしようかな、と見ているうちに、JALの「ファーストクラス」というのが目に飛び込んできて、去年の春に体験した素晴らしいフライトのことを思い出しました。
常に新しい旅の体験を求める自分としては、「もう一度体験したい」と思うようなものは滅多にないのですが、去年の春に初めて体験したJALのファーストクラスはその例外の一つでした。あの時は、早朝の便で羽田から福岡まで飛んだのですが、パーサーの方の挨拶から始まって、担当のCAさんが何度も飲み物を注ぎに来てくださったり、床に膝をついて鞄を前の座席の下に入れてくださったり、向こう側のCAさんが「本日の記念に」と言って折り紙を作って持ってきてくださったり、最後にもパーサーの方が「いかがでしたか?」と言って挨拶に来られたりと、短いフライトながら本当に「お世話になった」という気がしました。そこまで期待するのは無理だとは思いながらも、欧米ではまず味わえないあの優しいもてなしをもう一度味わってみたいと思ったのです。
伊丹空港から関西空港までは、直通のリムジンバスが出ていて、所要約70分です。まあ、バスに乗りながら、外の景色をボーっと眺めて目指す空港に到着するというのも悪くないと思いました。ということで、伊丹までJALのファーストクラスで行こうと、いったんは決めたのでした。
それが、しばらくしてからふと別のアイデアが浮かびました。伊丹便はやっぱり、ファーストクラスを満喫するにはあまりにも飛行時間が短くて、物足りないだろうという気がしてなりません。それならいっそのこと、あの時と同じように福岡まで飛んではどうか、どうせ、伊丹から関空までバスで70分もかかるのなら、福岡から関空まで飛行機に乗っても同じではないか、などと夜ベッドに入ってから頭にひらめくと、なかなか眠れません。
翌朝、さっそく航空便を調べてみたら、福岡から関空まではLCCが飛んでいて、かなり安く行けることがわかりました。便数が少ないので、関空に着く時間はやや遅くなってしまいますが、別に急いでいるわけではないので、構わないということで、関空に行くのに、わざわざ福岡まで飛んでから戻るという、マニアックな旅程を組んでしまったのです。
ということで、自分でも十分(とはいかないまでも)納得して、ワクワク気分でファーストクラスに乗り込み、福岡へと向かいました。福岡空港というと、ちょうど去年の10月に、古い第1ターミナルが閉鎖されて歴史の1ページを閉じたところですね。この空港は、1944年に当時の大日本帝国陸軍の席田飛行場として建設されました。当時、この敷地の周囲は今のような密集した大都会ではもちろんなく、何もない野原だったようですね。それが、45年に終戦を迎え、この飛行場は米軍に取られてしまいます。当時建設された滑走路はたったの600m、しかも強度が不足していて、米軍のジェット機が着陸した際に沈み込んでしまった事故も起きたとか。
45年から、米軍占領下で日本国籍の飛行機の運航が禁止されてしまいましたが、50年にそれが解除されると、日本航空の設立に向けた動きが始まります。1951年10月25日、日本航空として初めての国内定期便が羽田を飛び立ちましたが、その行き先は、他でもない大阪を経由して福岡までで、これが福岡空港としても初めての民間機の定期便でした。JALは、まだ自社で飛行機もパイロットも持っていなかったため、ノースウェスト航空から機材も乗務員も借りての委託便でした。そこまで無理してでも運航を開始するって、すごい根性ですね。でも欧米では戦争のずっと以前から航空業が発達していて、日本はこの分野でも完全に後進国だったわけで、こんなところでも、是が非でも世界に追いつくんだと誰もが必死になっていた戦後高度成長期の一コマを顧みるような気がします。JALの羽田発福岡便って、そんな涙ぐましい歴史があったのかあ・・・などと、ちょっとセンチな気分になってしまいました。
当時、プロペラ機での所用時間は合計3時間半あまりで、運賃は東京から福岡まで1万1,500円だったとのこと。それって今とあまり変わらないじゃないかって思うかもしれませんが、当時サラリーマンの初任給が1万円程度だったことを考えると、やっぱり飛行機は庶民には無理だったのですね。それが今では、自分みたいな貧乏人でも、ちょっと背伸びすれば「ファーストクラス」なんていうものを味わえるんですから、時代は変わったものです。
そんなことを思いながら、黙って飛行機に乗り込み、去年乗った席と同じ2Aに陣取ると、あの時の感動した思い出が頭の中によみがえってきました。ホッと座席に落ち着いて、離陸後にサービスの初めとしてシャンパンを受け取ると、なんだかこの上なく幸せな気分になりました。機内食も去年と同じような洋食のメニューで、シャンパンとともに優雅に楽しませていただき、機窓からは富士山がきれいに見え、相変わらず丁寧できめ細かなサービスは、やっぱりアメリカとは全然うなあと、改めて胸に刻まれる思いでした。
ちょっとだけ評価的なことを書かせていただくと、
※座席がリニューアルされているようでしたが、全体的に軽量化されたというか、以前のようなどっしりとした重厚さが薄れています。
※テーブルが以前より小さくなり、素材も軽量化されたようで、重みや高級感が減少しています。
※レッグレストもやや小さくなり、フットレストも長さが短くなって足が十分伸ばせなくなりました。
※前の座席の下の収納スペースはや、やや広くなっていました。
※食事は、サンドイッチが以前より小さくなっています。(証拠写真を載せましたので、見てください。)2種類あるうちのひとつは「チャーシューサンド」とのことでしたけど、残念ながらチャーシューはひとかけらも入っていませんでした。
帰国中の小さな旅として、以前から興味があった関西空港にある機内食のレストラン、「レジェンド・オブ・コンコルド」に行ってみたいと思いました。ところが、羽田⇒関西は便数が少なく、ちょうどいい時間に到着する便がありません。そこで、伊丹便を見たら、ANAもJALもたくさん飛んでいます。ではどちらにしようかな、と見ているうちに、JALの「ファーストクラス」というのが目に飛び込んできて、去年の春に体験した素晴らしいフライトのことを思い出しました。
常に新しい旅の体験を求める自分としては、「もう一度体験したい」と思うようなものは滅多にないのですが、去年の春に初めて体験したJALのファーストクラスはその例外の一つでした。あの時は、早朝の便で羽田から福岡まで飛んだのですが、パーサーの方の挨拶から始まって、担当のCAさんが何度も飲み物を注ぎに来てくださったり、床に膝をついて鞄を前の座席の下に入れてくださったり、向こう側のCAさんが「本日の記念に」と言って折り紙を作って持ってきてくださったり、最後にもパーサーの方が「いかがでしたか?」と言って挨拶に来られたりと、短いフライトながら本当に「お世話になった」という気がしました。そこまで期待するのは無理だとは思いながらも、欧米ではまず味わえないあの優しいもてなしをもう一度味わってみたいと思ったのです。
伊丹空港から関西空港までは、直通のリムジンバスが出ていて、所要約70分です。まあ、バスに乗りながら、外の景色をボーっと眺めて目指す空港に到着するというのも悪くないと思いました。ということで、伊丹までJALのファーストクラスで行こうと、いったんは決めたのでした。
それが、しばらくしてからふと別のアイデアが浮かびました。伊丹便はやっぱり、ファーストクラスを満喫するにはあまりにも飛行時間が短くて、物足りないだろうという気がしてなりません。それならいっそのこと、あの時と同じように福岡まで飛んではどうか、どうせ、伊丹から関空までバスで70分もかかるのなら、福岡から関空まで飛行機に乗っても同じではないか、などと夜ベッドに入ってから頭にひらめくと、なかなか眠れません。
翌朝、さっそく航空便を調べてみたら、福岡から関空まではLCCが飛んでいて、かなり安く行けることがわかりました。便数が少ないので、関空に着く時間はやや遅くなってしまいますが、別に急いでいるわけではないので、構わないということで、関空に行くのに、わざわざ福岡まで飛んでから戻るという、マニアックな旅程を組んでしまったのです。
ということで、自分でも十分(とはいかないまでも)納得して、ワクワク気分でファーストクラスに乗り込み、福岡へと向かいました。福岡空港というと、ちょうど去年の10月に、古い第1ターミナルが閉鎖されて歴史の1ページを閉じたところですね。この空港は、1944年に当時の大日本帝国陸軍の席田飛行場として建設されました。当時、この敷地の周囲は今のような密集した大都会ではもちろんなく、何もない野原だったようですね。それが、45年に終戦を迎え、この飛行場は米軍に取られてしまいます。当時建設された滑走路はたったの600m、しかも強度が不足していて、米軍のジェット機が着陸した際に沈み込んでしまった事故も起きたとか。
45年から、米軍占領下で日本国籍の飛行機の運航が禁止されてしまいましたが、50年にそれが解除されると、日本航空の設立に向けた動きが始まります。1951年10月25日、日本航空として初めての国内定期便が羽田を飛び立ちましたが、その行き先は、他でもない大阪を経由して福岡までで、これが福岡空港としても初めての民間機の定期便でした。JALは、まだ自社で飛行機もパイロットも持っていなかったため、ノースウェスト航空から機材も乗務員も借りての委託便でした。そこまで無理してでも運航を開始するって、すごい根性ですね。でも欧米では戦争のずっと以前から航空業が発達していて、日本はこの分野でも完全に後進国だったわけで、こんなところでも、是が非でも世界に追いつくんだと誰もが必死になっていた戦後高度成長期の一コマを顧みるような気がします。JALの羽田発福岡便って、そんな涙ぐましい歴史があったのかあ・・・などと、ちょっとセンチな気分になってしまいました。
当時、プロペラ機での所用時間は合計3時間半あまりで、運賃は東京から福岡まで1万1,500円だったとのこと。それって今とあまり変わらないじゃないかって思うかもしれませんが、当時サラリーマンの初任給が1万円程度だったことを考えると、やっぱり飛行機は庶民には無理だったのですね。それが今では、自分みたいな貧乏人でも、ちょっと背伸びすれば「ファーストクラス」なんていうものを味わえるんですから、時代は変わったものです。
そんなことを思いながら、黙って飛行機に乗り込み、去年乗った席と同じ2Aに陣取ると、あの時の感動した思い出が頭の中によみがえってきました。ホッと座席に落ち着いて、離陸後にサービスの初めとしてシャンパンを受け取ると、なんだかこの上なく幸せな気分になりました。機内食も去年と同じような洋食のメニューで、シャンパンとともに優雅に楽しませていただき、機窓からは富士山がきれいに見え、相変わらず丁寧できめ細かなサービスは、やっぱりアメリカとは全然うなあと、改めて胸に刻まれる思いでした。
ちょっとだけ評価的なことを書かせていただくと、
※座席がリニューアルされているようでしたが、全体的に軽量化されたというか、以前のようなどっしりとした重厚さが薄れています。
※テーブルが以前より小さくなり、素材も軽量化されたようで、重みや高級感が減少しています。
※レッグレストもやや小さくなり、フットレストも長さが短くなって足が十分伸ばせなくなりました。
※前の座席の下の収納スペースはや、やや広くなっていました。
※食事は、サンドイッチが以前より小さくなっています。(証拠写真を載せましたので、見てください。)2種類あるうちのひとつは「チャーシューサンド」とのことでしたけど、残念ながらチャーシューはひとかけらも入っていませんでした。
フライトログ
搭乗の詳細データです。
- 座席番号
- 2A
- 搭乗クラス
- ファースト
- 区間マイル
- 546
- 出発予定時刻
- 8:20
- 到着予定時刻
- 10:10
- 予定飛行時間
- 1:50
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