航空会社 JAL (日本航空)
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- 日本
- IATA | ICAO
- JL | JAL
- メンバー評価
- 搭乗レビュー 4.08 [8,353件]
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搭乗レビュー
3.11の成田空港を語るスタッフ
搭乗写真
総評
東日本大震災の影響が残る2011年4月の日本滞在を終えてニュージーランドに戻ります。
【機内食・ドリンク】
2011年ごろのJALビジネスは「コンテンポラリーフレンチ」「街の洋食屋さん」「和食」の3種類で構成されていました。「街の洋食屋さん」は和食と洋食のミックスで,メインはハンバーグなど,それにお弁当風の洋風お総菜セット(現在の和食前菜セットを洋風にした感じ)を組み合わせたものです。
この日は普通のコンテンポラリーフレンチを選んでみました。いちおう前菜,メインと分けてありますが,当時はワントレイで一気に出てきます。前菜が質素になったような気もしますが,メインは変わらずソースが多いステーキです。
朝食はパサパサしたホットサンドを避けて,うどんですかい。汁気が多い方がいいです。
【座席(シート)】
シェルフラットシート。当時はこれで十分だった。体全体がずりずり下に落ちていくけど。搭乗率は20%ほど。外国のエアラインも欠航が多かったので(ニュージーランド航空など欠航だらけで使い物にならなかった),タキシングもあっという間で離陸しました。
【機内スタッフ】
いつも優しいJALの皆さん。
【空港サービス】
このころJALの成田サクララウンジのダイニングフロアには小さなバーカウンターがあり,JALスタッフが本格的なバーテンダーとしてサービスしてくれました。
この日はKさんが担当。既に顔見知りになっていたのですが,東日本大震災の日の成田空港の様子を語ってくれました。
Kさんは3月11日,ちょうど早番が終わるところで,さあ帰ろうと思ったところで地震が発生したそうです。このバーカウンターに戻ったら,ボトルはすべて床に落ち,周囲のダイニングフロアもぐちゃぐちゃになっていたらしい。
窓から外を見ると,出発できない飛行機からエプロンに降りた乗客が500人くらいあふれ返っている。彼らのために他のラウンジと連絡を取り合ってありったけの毛布を集め,更にラウンジからも出せる食料を提供したそうです。ちなみに成田空港は自家発電設備が整っているので,当座の電気は使えたらしい。
いちばん悲惨だったのは,ラウンジのすぐ横にある61番スポットから出発準備完了でボーディングブリッジが離れた直後に地震に見舞われたJAL機材で,地震のために機体とボーディングブリッジが再び衝突。離陸はできない,かといってボーディングブリッジも使えない。エプロンには500人くらいの人がいるのでタラップ車も近づけない。けっきょく61番スポットからお客さんが降りてきたのは5時間後ということでした。
そんな状況が一段落し,ようやくKさんが帰ろうとしたら,会社から「あしたはラウンジを営業する」という指示。
散乱したお酒のビンやら食べ物やらを片付け,徹夜だったそうです。
【総合評価】
現在,JAL成田のサクララウンジにバーカウンターはありませんが,当時はこういった話を聞くことができました。震災時のJALスタッフの努力に感謝すると共に,もうバーカウンターで世間話ができない現在のサクララウンジがちょっと寂しいです。
【機内食・ドリンク】
2011年ごろのJALビジネスは「コンテンポラリーフレンチ」「街の洋食屋さん」「和食」の3種類で構成されていました。「街の洋食屋さん」は和食と洋食のミックスで,メインはハンバーグなど,それにお弁当風の洋風お総菜セット(現在の和食前菜セットを洋風にした感じ)を組み合わせたものです。
この日は普通のコンテンポラリーフレンチを選んでみました。いちおう前菜,メインと分けてありますが,当時はワントレイで一気に出てきます。前菜が質素になったような気もしますが,メインは変わらずソースが多いステーキです。
朝食はパサパサしたホットサンドを避けて,うどんですかい。汁気が多い方がいいです。
【座席(シート)】
シェルフラットシート。当時はこれで十分だった。体全体がずりずり下に落ちていくけど。搭乗率は20%ほど。外国のエアラインも欠航が多かったので(ニュージーランド航空など欠航だらけで使い物にならなかった),タキシングもあっという間で離陸しました。
【機内スタッフ】
いつも優しいJALの皆さん。
【空港サービス】
このころJALの成田サクララウンジのダイニングフロアには小さなバーカウンターがあり,JALスタッフが本格的なバーテンダーとしてサービスしてくれました。
この日はKさんが担当。既に顔見知りになっていたのですが,東日本大震災の日の成田空港の様子を語ってくれました。
Kさんは3月11日,ちょうど早番が終わるところで,さあ帰ろうと思ったところで地震が発生したそうです。このバーカウンターに戻ったら,ボトルはすべて床に落ち,周囲のダイニングフロアもぐちゃぐちゃになっていたらしい。
窓から外を見ると,出発できない飛行機からエプロンに降りた乗客が500人くらいあふれ返っている。彼らのために他のラウンジと連絡を取り合ってありったけの毛布を集め,更にラウンジからも出せる食料を提供したそうです。ちなみに成田空港は自家発電設備が整っているので,当座の電気は使えたらしい。
いちばん悲惨だったのは,ラウンジのすぐ横にある61番スポットから出発準備完了でボーディングブリッジが離れた直後に地震に見舞われたJAL機材で,地震のために機体とボーディングブリッジが再び衝突。離陸はできない,かといってボーディングブリッジも使えない。エプロンには500人くらいの人がいるのでタラップ車も近づけない。けっきょく61番スポットからお客さんが降りてきたのは5時間後ということでした。
そんな状況が一段落し,ようやくKさんが帰ろうとしたら,会社から「あしたはラウンジを営業する」という指示。
散乱したお酒のビンやら食べ物やらを片付け,徹夜だったそうです。
【総合評価】
現在,JAL成田のサクララウンジにバーカウンターはありませんが,当時はこういった話を聞くことができました。震災時のJALスタッフの努力に感謝すると共に,もうバーカウンターで世間話ができない現在のサクララウンジがちょっと寂しいです。
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