世界に展開する全翼機、B-2Aスピリット

世界に展開する全翼機、B-2Aスピリット

ニュース画像 1枚目:KC-135Rから給油を受けるB-2A
© U.S. Air Force photo by Staff Sgt. Jordan Castelan
KC-135Rから給油を受けるB-2A

イギリスで2019年8月29日(木)、演習中に撮影された第351空中給油飛行隊のKC-135Rから給油を受けるB-2Aの画像です。この演習は、イギリス空軍のF-35Bと飛行訓練を実施しました。

B-2Aはアメリカ合衆国の中央に位置するミズーリ州・ホワイトマン空軍基地に全20機が配備されていますが、定期的にイギリス・フェアフォード空軍基地、インド洋・ディエゴガルシア、グアム・アンダーセン空軍基地に派遣され、アメリカの覇権の一翼を担っています。

B-2Aを開発、生産したノースロップ・グラマンの前身、ノースロップの創設者ジャック・ノースロップは全翼機に並々ならぬ思いがありました。1929年に1929フライング・ウイングを飛行、完全な全翼機ではありませんでしたが、ここからノースロップの全翼機への試みが始まりました。

1940年に研究機N-1Mが飛行、主翼端が着脱交換式で翼端が真っ直ぐのタイプと、下方に折れ曲がったタイプが試されました。1942年にはアメリカ陸軍の計画に提案したN-9Mが飛行しました。1943年には試作戦闘機XP-56が飛行しましたが、性能が低く開発は中止になりました。

1945年9月に初の双発ジェットエンジン搭載でパイロットが腹ばいになって操縦するXP-79Bが飛行しましたが、墜落事故が起きてパイロットが死亡、開発は打ち切りになりました。

1946年6月にB-2Aの先祖とも言えるXB-35/YB-35が飛行、15機生産されましたが、技術的問題や航続距離の短さなどから開発はキャンセルされました。YB-35をジェット化したYB-49が1947年10月に飛行、偵察型のYRB-49と含め5機が製造されましたが、航続距離が短く爆弾搭載量も減り、事故続きで開発中止になりました。YB-35の事故で無くなった副操縦士グレンE・エドワーズ大尉の名から、ミューロック乾湖の飛行場は、エドワーズ空軍基地と呼ばれるようになりました。

YB-49が1950年に開発中止になり、39年後の1989年にB-2Aが飛行するまでノースロップの全翼機の飛行が途切れました。ジャック・ノースロップはB-2Aの飛行を見る事なく、1981年2月18日にこの世を去りました。

期日: 2019/08/29
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