50年前の1971年5月15日、日本国内航空と東亜航空が合併し、東亜国内航空(TDA)が誕生しました。のちに「日本エアシステム(JAS)」、さらに日本航空(JAL)との統合を経ていく航空会社です。その誕生、JALとの統合の経緯は政界絡みの動きがあったと各所で伝えられており、ここでは機材に的を絞ってまとめてみます。
合併時にそれぞれの会社から引き継いだ機材としてコンベアCV-240などがありましたが、東亜国内航空の主力機材はDC-9と国内製の航空機、YS-11型でした。その塗装は赤でしたが1976年にレッド&グリーンとなり、1988年4月に「日本エアシステム」に社名変更されても、塗装のカラーは変わらずに引き継がれました。
動向として興味深い機体は、合併前に日本国内航空が導入したものの、政治・行政からの要因が絡んだボーイング727型機。この機種は1966年に日本航空(JAL)にリースされ、東亜国内航空に統合された後の1972年に返却されました。このうち1機は「よど号ハイジャック事件」として平壌の美林飛行場まで飛行した「JA8315」です。この機体は、「日本エアシステム」退役後にVIP機へ改修され、2005年ごろまで海外の空で活躍していたことが確認されています。
さらに、東亜国内航空時代に「JAS」といえばレインボーカラーと言えるイメージを創り出しました。その始まりはエアバスA300型機です。1号機、機体記号(レジ)「JA8464」が1980年12月3日に羽田へ到着。決定していた機体カラーマーキング「レインボーカラー」が初めて実機でお披露目されました。このA300により、JASが国際線に進出し、後の合併でJALにとって初めてのエアバス製の航空機にもなりました。