成田空港、開港時の飛行機たちとその歴史を振り返る

成田空港、開港時の飛行機たちとその歴史を振り返る

ニュース画像 1枚目:パンナム 747SP (パール大山さん撮影)
© FlyTeam パール大山さん
パンナム 747SP (パール大山さん撮影)

今から43年前(1978年/昭和53年)5月20日(土)、現在の成田国際空港が開港しました。当時の名称は「新東京国際空港」で、2004年4月1日(木)に民営化。会社組織は公団から株式会社化し、政府出資の成田国際空港株式会社(NAA)となりました。これに伴い、名称も「成田国際空港」となっています。

開港までは苦難が伴いました。羽田空港の能力が1970年ごろに限界に達する予測を受け、新たな空港の検討が始まりました。1962年に初めて調査費予算118万円で検討が本格化し、1965年11月18日(木)に千葉県・富里と候補地を内定。翌年に政府と千葉県の調整で現在の成田市三里塚付近と決定し、方針が提示されました。その後の反対運動などもあり、土地収用法による事業認定などを経て、空港が整備されました。

開港日が1978年3月30日(木)と決定、航空路誌(AIP)で全世界に向けて発表されたものの、反対運動が過激化。同年3月26日(日)に一部が管制塔に乱入、予定日に間に合わないことから開港は延期されました。当時の開港は、厳戒態勢の中で迎えた1日でした。現在のB滑走路につながる複雑な誘導路は、買収できない農地や所有地があるためで、この反対運動の一端を示すものでもあります。

開港時、乗り入れ航空会社は29カ国34社でした。開港後は「日本の玄関口」としての地位を築き、航空旅客数は開港から9年9カ月後の1988年3月19日(土)に1億人を達成。その後は、1億人の区切りを記録するペースが早まり、2億人は4年10カ月後の1993年2月5日(金)、3億人は4年1カ月後の1997年4月3日(木)でした。その後も旅客数を積み重ね、2019年11月21日(木)には11億人に達しています。

11億人を達成した2019年冬スケジュール時は、就航都市数が海外118都市、国内22都市の計140都市、乗り入れ航空会社数は106社でした。新型コロナウイルスの影響から2020年度は国際線旅客便の発着回数、旅客数とも過去最低を記録しました。2021年度も低迷は続いていますが、今後の成田空港はさらなる機能強化が計画されています。すでに、第3滑走路の新設とB滑走路の延伸について地元と合意し、事業が進められています。

なお、開港初便は、日本航空(JAL)が運航するロサンゼルス発のダグラスDC-8-62F貨物機でした。現在は旅客機がその発着を多く占める中では少し意外な事実です。その開港後に見ることができた1970年代の飛行機たちを以下で振り返ってみます。

パンアメリカン航空 ボーイング747SP型機

まずは、パンアメリカン航空のボーイング747SP型機。「パンナム」として親しまれた航空会社で、現在のTBS系列で放映された「兼高かおる世界の旅」の協賛社としても知られます。大相撲の「ヒョーショージョー」として記憶に留める方も多いでしょう。

ニュース画像 1枚目:パンナム 747SP (パール大山さん撮影)
© FlyTeam パール大山さん
パンナム 747SP (パール大山さん撮影)

ヴァリグ・ブラジル航空 ボーイング707型機

倒産前はスターアライアンスに加盟していたヴァリグ・ブラジル航空として、ご存知の方も多いはず。1927年創業の老舗航空会社は当時、ボーイング707型機で日本に乗り入れていました。当時は名古屋にも乗り入れており、南米と日本をつなぐ重要な役割を果たしていました。

ニュース画像 2枚目:ヴァリグ ボーイング707 (パール大山さん撮影)
© FlyTeam パール大山さん
ヴァリグ ボーイング707 (パール大山さん撮影)

アリタリア航空 ダグラスDC-8型機

塗装は現在も概ね同じで、デザインからアリタリア航空と分かる人が多いでしょう。アリタリアは2015年に機体塗装のデザインを変更しましたが、尾翼のデザインは現在も変わっていません。

ただし、機体をすぐに言い当てられる方はオールドファン。胴体前方が長く、フォルムが綺麗なダグラスDC-8型機です。旅客機として史上初めて音速を突破したシリーズでもありました。

ニュース画像 3枚目:アリタリア航空 DC-8 (パール大山さん撮影)
© FlyTeam パール大山さん
アリタリア航空 DC-8 (パール大山さん撮影)

ブリティッシュ・エアウェイズ ビッカースVC10型機

尾翼のユニオンジャックから、イギリスの航空会社と分かる1枚。さらにこの機種をビッカースVC10型機で、イギリスの航空機メーカーと断言できるなら長く飛行機を見続けてきた方でしょう。

T字尾翼、4発リアエンジンは現代の航空機ではお目にかかることができません。ビッカースは現在、イギリスの防衛・軍事などを中心にBAEシステムズとして引き継がれています。

ニュース画像 4枚目:ブリティッシュ・エアウェイズ ヴィッカース VC10 (パール大山さん撮影)
© FlyTeam パール大山さん
ブリティッシュ・エアウェイズ ヴィッカース VC10 (パール大山さん撮影)

中国民航 イリューシンIL-62型機

最後にこの1機。胴体には漢字が記され、中華圏の航空会社と分かる機体です。この機体はビッカースと非常に似た機体で、当時ソ連のスパイが設計図を入手したと噂され、冷戦後にその事実が明らかになったイリューシンIL-62型機です。

航空会社は中国民航で、1987年には航空会社と管理部門が分割され、中国国際航空、中国東方航空、中国南方航空、中国西南航空、中国西北航空、中国北方航空の航空会社が誕生しました。

ニュース画像 5枚目:中国民航 イリューシン IL-62 (パール大山さん撮影)
© FlyTeam パール大山さん
中国民航 イリューシン IL-62 (パール大山さん撮影)

40年を超える成田国際空港の歴史の1ページを振り返ってみると、今も開港当時の記憶を残しつつ、大きく変貌しています。第3滑走路の整備で今後、さらに大きく変わっていくことが予想されます。

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