日本航空 Douglas DC-8 (JA8061) 航空フォト
- 撮影日
- 1977/04/17
- 撮影場所
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伊丹空港 - Osaka International Airport [ITM/RJOO]
千里川土手 [詳細・大きな地図] - 機材・機種
- Douglas DC-8 McDonnell Douglas DC-8-61
- 機体記号
- JA8061
- 製造番号(cn)
- 45889/291
元画像 |
横:1024px / 縦:683px
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コメント
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操作ミスで墜落してしまいましたが、この事故があって私たちが今より安全に飛行機に乗れるんですよね。
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はじめまして。
ちょうど私が生まれた年の話ですが、この事件で「心身症」が流行語になったそうですね。
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ひろぎさん
NSさん
コメント有難うございます。
多くの流行語を生み出した事故でしたが、パイロットの「心の健康」という問題を提起した事故でしたね。何よりも安全第一を徹底して欲しいです。 -
いろいろな意味で大きなショックを受けた記憶があります。
今でも、当時のテレビ映像が浮かびます。
レジが8(0)と61で機種と同じ数列でした。
また、87年末の日本アジア航空の「さよならDC-8」ツアーでの台北往復が最初で最後のDC-8フライトでした。 -
こんばんは!久しぶりです。
最近、仕事が忙しくて写真を撮影に行く暇もありません。
この年はホテル「ニュージャパン」の火災もありましたよね!
この時の機長は大分県出身の機長でした。
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Gambardierさん、こんにちは!いつも拝見しております。
今は見れない機材など楽しませていただいております。
DC-8は、近所の市場の屋根の上を飛んでいくのを見て憧れていた飛行機でした。K機長が心を煩い人為的に逆噴射で落としたのでしたね。コーパイの「機長!何をするんですかっ!」という言葉も印象に残っています。 -
Gambardierさん
こんにちは。
DC-8・・・カッコいいですね。
このころ私は「鉄」でブルトレや上野特急などを撮影していました。
飛行機はノーマークだったんで、DC-8やB727などはまったく写真がありません。
悔やんでも仕方ないですが!
しかし、この日は羽田の近く(蒲田)にいたのですが事故の事を知ったのは家に帰ってからでした。
びっくりしたのを覚えています。 -
皆さん多くのコメント有難うございます。
1982年9月にはJA8048が上海でオーバーランして大破する事故もありました。羽田事故はホテルニュージャパン火災の翌日だそうですね。
事故の連鎖とは言いますが、事故は立て続けに起こる傾向がありますね。でもそれまでの事故はヒューマンエラー(誤操作、誤判断)がほとんどで、K機長のように妄想に駆られて意図的に逆噴射するというのは異質でした。内側2発のエンジンだけが空中でリバースできたのが仇になりました。今はフライングスポイラーで減速するのですが、DC-8では代わりにエンジンリバースで減速できたのです。
DC-8、B707はAPUを搭載していなかったので、スターターをつないでエンジンを始動していましたが、ヒューンというエンジン始動音が今でも懐かしく思い出されます。 -
この羽田沖墜落事故の背景を精神科医の立場からまとめた本として朝日文庫の「羽田沖日航機墜落事故」があります。本屋さんにはないかも知れませんが図書館などで借りて読むことをお勧めします。
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今から30年前の1982年2月9日に羽田沖事故で失われた機体です。機長のエンジン逆噴射という前代未聞の出来事でした。