アメリカ海兵隊航空100周年、MV-22オスプレイ・ストーリー

アメリカ海兵隊航空100周年、MV-22オスプレイ・ストーリー

アメリカ海兵隊の公式サイトに、航空100周年を記念する記事のひとつとしてMV-22オスプレイの歴史が掲載されました。海兵隊航空部隊にとっては、念願の航空機の実用化だったようです。

1970年代に海兵隊は、ボーイングCH-46シーナイト中型輸送ヘリコプターの後継機の必要性を感じていました。しかし、当時のティルト・ローター/ティルト・ウイング機は未成熟で、CH-46の代わりになると思われてもいませんでした。

ところが、1980年に発生したイランのアメリカ大使館占拠事件が、状況を一変しました。大使館に捕らわれていた人質を奪還するために、イーグル・クロー作戦が企画され実行されました。C-130輸送機とMH-53ヘリコプターを使用する作戦でしたが、輸送機とヘリコプターの中継をする前進拠点で事故が起き、作戦は失敗してしまいました。

オスプレイのような機体が使用できれば、作戦がシンプルになり失敗の可能性も減少できたと主張するグループが出現しました。ヘリコプターの利点は滑走路を必要としないことであり、弱点は速度、航続距離、飛行高度などが固定翼機に遠く及ばないことです。オスプレイはヘリコプターのように離着陸し、固定翼機のように飛行することができるのです。

オスプレイの開発・生産計画は1986年までは順調でした。しかし、技術面とコスト面の数々の課題を解決して、実戦配備につかせるまでには20年もの年月が必要でした。大きな問題のひとつはパワー・セットリングでした。自機のダウンウォッシュの中に入り込んでしまうと、揚力を失い墜落してしまいます。

もうひとつはフライ・バイ・ワイヤの設計です。従来の航空機はパイロットが操作したとおりに油圧装置が力を伝えてラダーなどの動翼を動かします。しかし、オスプレイはパイロットの操作をコンピュータが解釈して、電気信号で動翼を動かします。そのプログラムを洗練させるのが大変でした。

これらの問題は開発期間中に墜落事故を起こしましたが克服され、現在ではオスプレイは何機種かのヘリコプターの中で最も安全な機体になりました。2007年以降、アメリカ海兵隊はMV-22Bオスプレイ飛行隊をイラクに3回、アフガニスタンに4回派遣しました。そしてMV-22Bを航空戦力の中核とした第4海兵遠征軍の準備もできています。この間MV-22Bは1度の戦闘損失のみで、130,000時間を無事故で飛行しました。

オスプレイのスピードと航続力は、これまでの戦闘空間を一変すると考えられており、海兵隊はオスプレイの能力を生かす方法を見い出していくだろうとしています。

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