搭乗レビュー
2019年秋の帰国旅行8便目-150年前
搭乗写真
総評
なんだか、ついさっきまでアムステルダムにいたんだよな…、今朝起きて、町を散歩したりして、カナル沿いのカフェに座ってお昼を食べて、夕方までアムステルダムの町をぶらついていたんだよな…、と思い返してみても、もう自分はニューヨークにいて、JFKの殺風景なターミナルで、夜遅い最終便を静かに待つ一握りの人たちに混じって座っていました。旅の終わりって、いつもそんなもんです。
今回の旅は、久しぶりにデルタの国際線に乗ってみて大西洋路線の激しい競争について想像してみたり、初めてJALの国際線に乗って経営破綻から今まで10年間の改革を振り返ってみたり、KLMの100年の歴史をたどりながら、飛行機のパイオニアたちの偉業に思いを巡らしたりと、色々勉強にもなった旅でした。
アメリカは国土が広いので、国内旅行も飛行機が主流ですけど、航空業が発達した20世紀の時代より前の19世紀には、鉄道しかありませんでした。アメリカの鉄道は、1830年に当時全米第2の都市だった港町のボルチモアから13マイルほどの距離が開業したボルチモア・オハイオ鉄道が始まりで、その後延長が進み、1850年代頃までには、中西部のシカゴやセントルイスあたりまで伸びました。19世紀には西部開拓がどんどん進んだのと同時に鉄道建設も進みました。西側の今でいうカリフォルニア州オークランドのあたりからサクラメントのあたりまでをウェスタン・パシフィックが建設し、そこからさらに東に向かってユタ州までをセントラル・パシフィックが建設し、そして逆に中西部のネブラスカ州オマハのあたりから西に向かってユタ州までをユニオン・パシフィックが建設しましたが、1869年の5月に東西から建設した鉄道がユタ州で合流し、大陸横断鉄道がつながりました。今年はちょうどその150周年の年に当たります。標高2,000メートルを超えるロッキー山脈超えのルートを建設する作業は、想像を絶する過酷なものだったのではないでしょうか。何千人もの労働者が駆り出され、その3分の2は中国移民だったそうですが、きっと作業中に亡くなった方もかなり多かったのではないかと思います。でも、そういう大きなビジョンを持った勇敢なパイオニアたちのおかげで、長距離の旅ができるようになったのですね。
もともと鉄道はイギリスが発祥と言われていて、初めての旅客鉄道の開業はアメリカよりも早い1825年のことでした。では国土の狭い日本はというと、19世紀前半の日本はまだ江戸時代で鎖国中だったため、鉄道建設などというパイオニア的なものからは程遠かったんですね。外国から船が来るようになって、模型が持ち込まれてデモを見せられて驚くばかりというような悲惨な状態でした。鉄道を自力で建設するのは無理なので、技術面や資金面でイギリスの力を借りて、やっと初めての鉄道が新橋(現在の汐留)-横浜(現在の桜木町)で開業したのは1872年のことでした。あの広いアメリカで大陸横断鉄道が開通してから3年後のことだったんですね。日本は遅れていました。
そんなときから100年たった1969年には、ジャンボ機が初めて空を飛んだり、アポロが初めて月に着陸したりと、桁違いの偉業が成し遂げられました。桁違いに遅れていた日本も、欧米の先進国と肩を並べる程にまで成長を遂げましたね。僕みたいな庶民が、こうして悠々と飛行機に乗って遠い地まで旅ができるのですから、時代は変わったものです。それからさらに100年後の2069年なんて、自分はもう生きていないですけど、どうなってるのかなあ、などと考えながら、僕は長い旅の最後の飛行機に乗り込みました。もう夜11時近いので、機内は静かで平安な雰囲気でした。長旅で疲れたのか、いつもの聞きなれた英語が耳に入ってくると、なんだかホッと安心した気分になり、スーッと居眠りしてしまって、気が付いた時にはもう離陸をした後でした。間もなく、CAさんが小さなカートを押してドリンクサービスにやってきました。この短距離路線では、たいてい水しかもらえないのに、珍しくコーヒーが用意されていたので、温かい飲み物はありがたいと思い、それをいただきました。人生、いつ何が起こるかわかりません。せいぜい、できる間にできる限り旅を続けたいと思いながら、まだ今回の旅も終わっていないのに、もう次はどんな旅に出ようかと薄暗い機内で考えるのでした。飛行機は無事に飛び、定刻より10分ほど早く到着しました。バーモント州は早くも真っ白に雪が積もっていました。今回の旅では、8回ほど飛行機に乗りましたが、全部定刻より早い到着で、それもラッキーだったと思います。
今回の旅は、久しぶりにデルタの国際線に乗ってみて大西洋路線の激しい競争について想像してみたり、初めてJALの国際線に乗って経営破綻から今まで10年間の改革を振り返ってみたり、KLMの100年の歴史をたどりながら、飛行機のパイオニアたちの偉業に思いを巡らしたりと、色々勉強にもなった旅でした。
アメリカは国土が広いので、国内旅行も飛行機が主流ですけど、航空業が発達した20世紀の時代より前の19世紀には、鉄道しかありませんでした。アメリカの鉄道は、1830年に当時全米第2の都市だった港町のボルチモアから13マイルほどの距離が開業したボルチモア・オハイオ鉄道が始まりで、その後延長が進み、1850年代頃までには、中西部のシカゴやセントルイスあたりまで伸びました。19世紀には西部開拓がどんどん進んだのと同時に鉄道建設も進みました。西側の今でいうカリフォルニア州オークランドのあたりからサクラメントのあたりまでをウェスタン・パシフィックが建設し、そこからさらに東に向かってユタ州までをセントラル・パシフィックが建設し、そして逆に中西部のネブラスカ州オマハのあたりから西に向かってユタ州までをユニオン・パシフィックが建設しましたが、1869年の5月に東西から建設した鉄道がユタ州で合流し、大陸横断鉄道がつながりました。今年はちょうどその150周年の年に当たります。標高2,000メートルを超えるロッキー山脈超えのルートを建設する作業は、想像を絶する過酷なものだったのではないでしょうか。何千人もの労働者が駆り出され、その3分の2は中国移民だったそうですが、きっと作業中に亡くなった方もかなり多かったのではないかと思います。でも、そういう大きなビジョンを持った勇敢なパイオニアたちのおかげで、長距離の旅ができるようになったのですね。
もともと鉄道はイギリスが発祥と言われていて、初めての旅客鉄道の開業はアメリカよりも早い1825年のことでした。では国土の狭い日本はというと、19世紀前半の日本はまだ江戸時代で鎖国中だったため、鉄道建設などというパイオニア的なものからは程遠かったんですね。外国から船が来るようになって、模型が持ち込まれてデモを見せられて驚くばかりというような悲惨な状態でした。鉄道を自力で建設するのは無理なので、技術面や資金面でイギリスの力を借りて、やっと初めての鉄道が新橋(現在の汐留)-横浜(現在の桜木町)で開業したのは1872年のことでした。あの広いアメリカで大陸横断鉄道が開通してから3年後のことだったんですね。日本は遅れていました。
そんなときから100年たった1969年には、ジャンボ機が初めて空を飛んだり、アポロが初めて月に着陸したりと、桁違いの偉業が成し遂げられました。桁違いに遅れていた日本も、欧米の先進国と肩を並べる程にまで成長を遂げましたね。僕みたいな庶民が、こうして悠々と飛行機に乗って遠い地まで旅ができるのですから、時代は変わったものです。それからさらに100年後の2069年なんて、自分はもう生きていないですけど、どうなってるのかなあ、などと考えながら、僕は長い旅の最後の飛行機に乗り込みました。もう夜11時近いので、機内は静かで平安な雰囲気でした。長旅で疲れたのか、いつもの聞きなれた英語が耳に入ってくると、なんだかホッと安心した気分になり、スーッと居眠りしてしまって、気が付いた時にはもう離陸をした後でした。間もなく、CAさんが小さなカートを押してドリンクサービスにやってきました。この短距離路線では、たいてい水しかもらえないのに、珍しくコーヒーが用意されていたので、温かい飲み物はありがたいと思い、それをいただきました。人生、いつ何が起こるかわかりません。せいぜい、できる間にできる限り旅を続けたいと思いながら、まだ今回の旅も終わっていないのに、もう次はどんな旅に出ようかと薄暗い機内で考えるのでした。飛行機は無事に飛び、定刻より10分ほど早く到着しました。バーモント州は早くも真っ白に雪が積もっていました。今回の旅では、8回ほど飛行機に乗りましたが、全部定刻より早い到着で、それもラッキーだったと思います。
フライトログ
搭乗の詳細データです。
- 座席番号
- 4D
- 搭乗クラス
- エコノミー
- 区間マイル
- 266
- 出発予定時刻
- 22:55
- 到着予定時刻
- 0:08
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