搭乗レビュー
回顧録その6。初めてのタイ国内線はTGでプーケットからバンコクへ。
搭乗写真
総評
1991年の初めてのタイ・バッグパッカー旅はバンコクからアユタヤを巡って、その後陸路でプーケットに向かいました。
さすがにプーケットからの戻りは陸路では疲れてしまうし、日本への帰国日も迫っていたので、プーケットからはTGの国内線で一気にバンコクに戻りました。
当時のプーケット空港は旅客ターミナルは1つ(現在の第1ターミナル)しかなく、滑走路に向かう誘導路も整備されていなくて、一度滑走路端までタキシングしていき、その後くるり反転して滑走していくというスタイルでした。その滑走路もまるで森の中を駆け抜けて海に飛び出して行くという感じで、離陸して眼下に広がるアンダマン海の姿は感動的ですらありました。
その当時はプーケットがリゾート地としてやっと世界中に知られてきたころでしたので、空港のトラフィックも少なく、大変のんびりとした空港でした。
この時のフライトは搭乗率が6~7割程度だったと記憶しています。それほど混み合った感じではありませんでした。また、国内線でも機内食が出たことに驚き、
「飛行機は乗れば食事が出来るのだ。」
と認識したので、その後だいぶ経って日本の国内線では機内食がないことにまた驚いた記憶があります。
機内サービスもよく、あっという間にバンコクに戻って来たという感じでした。
さすがにプーケットからの戻りは陸路では疲れてしまうし、日本への帰国日も迫っていたので、プーケットからはTGの国内線で一気にバンコクに戻りました。
当時のプーケット空港は旅客ターミナルは1つ(現在の第1ターミナル)しかなく、滑走路に向かう誘導路も整備されていなくて、一度滑走路端までタキシングしていき、その後くるり反転して滑走していくというスタイルでした。その滑走路もまるで森の中を駆け抜けて海に飛び出して行くという感じで、離陸して眼下に広がるアンダマン海の姿は感動的ですらありました。
その当時はプーケットがリゾート地としてやっと世界中に知られてきたころでしたので、空港のトラフィックも少なく、大変のんびりとした空港でした。
この時のフライトは搭乗率が6~7割程度だったと記憶しています。それほど混み合った感じではありませんでした。また、国内線でも機内食が出たことに驚き、
「飛行機は乗れば食事が出来るのだ。」
と認識したので、その後だいぶ経って日本の国内線では機内食がないことにまた驚いた記憶があります。
機内サービスもよく、あっという間にバンコクに戻って来たという感じでした。
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