2025年5月25日に開催予定だった航空自衛隊美保基地航空祭。諸般の事情により中止となったことで、SNS上では開催中止を残念に思うコメントが多く寄せられていました。
航空祭は実施されませんが、FlyTeamで公開されている航空フォトやGoogleマップの航空写真を通じて、基地の雰囲気を少しでも感じてみてはいかがでしょうか。美保基地には11機の保存機が展示されており、その一部は基地の外からも確認することができます。今回は、そんな美保基地に展示されている保存機11機の特徴やヒストリーをご紹介します。
【基地正門付近】
正門付近には、8機の保存機が展示されています。正面にC-46航法訓練機が1機、正門右側にはF-104J、F-86D、T-33A、T-1B、T-3、S-62、F-1がそれぞれ1機ずつ展示されています。なお正門右側の展示スポットについては、昨年と今年開催予定の航空祭では公開しないエリアに指定されています。
<“空自に1機”の激レア! 航法訓練機:C-46D (91-1139)>
C-46は、カーチスが開発し1940年に初飛行した輸送機。航空自衛隊では1955年から57年にかけて米軍から36機が供与され、さらに1959年に12機を購入。輸送任務のほか、電子訓練や飛行点検、飛行試験などの各種業務で1978年まで運用されました。展示機は1959年に入手した12機のC-46Aのうちの1機で、その後、C-46D仕様に改造された機体。さらに背中に2つの天測窓を増設し、合計3つバブルウインドウを持つ航法訓練機となりました。C-46の航法訓練機は、航空自衛隊に1機だけしか存在しなかった非常に珍しい存在です。
<「最後の有人戦闘機」:F-104J (46-8602)>
F-104は、ロッキード社が開発したマッハ2級の戦闘機。原型機の初飛行は1954年で、デビュー当初にはミサイル万能論が隆盛を極めたこともあり、「最後の有人戦闘機」と呼ばれました。航空自衛隊では単座のJ型を210機、複座のDJ型を20機を導入、1962年から1987年まで運用しました。また、退役後に14機が無人標的機に改造され、訓練で使用されています。同機は1984年に用途廃止(用廃)となり、美保基地へ展示。尾翼には千歳基地の第203飛行隊のマークを描いています。
<武装はロケット弾だけの戦闘機:F-86D (04-8202) >
F-86Dは航空自衛隊の創成期に米空軍から122機が供与され、千歳基地と小牧基地に配備された機体。また岐阜基地の実験航空隊(当時)にも若干数が配備されていました。機首にレーダーを備えた全天候戦闘機ですが、武装はコクピット下方の胴体下に見えるパッケージに収まった24発のロケット弾のみという、現代の目で見ると一風変わった戦闘機でした。展示機は1968年に用廃となり、国内に約20機が保存されているF-86Dのうちの1機として美保へ。垂直尾翼には当時の小牧基地第3航空団のマークであるシャチホコが描かれています。
<ジェット練習機:T-33A (51-5647)>
航空自衛隊では1955年から1991年3月まで、パイロット養成を目的にT-33Aを運用。後継機であるT-4の登場後も各部隊で訓練支援等に使われていましたが、1999年11月に発生した墜落事故がきっかけとなって全機が退役しています。展示機は1955年にアメリカから供与された68機のうちの一機で、1965年に用廃となりました。垂直尾翼には小牧基地第3航空団(当時)のマークであるシャチホコが描かれています。
<国産初のジェット練習機:T-1B (35-5860)>
国産初のジェット練習機T-1A/Bは、主に福岡県芦屋基地に配備され、パイロット養成のために使われていました。小牧基地の第5術科学校では若干数のT-1Bを配備して、管制業務の実際を体得させるために使用していました。この保存機は、2006年3月3日に行われた航空自衛隊のT-1による最終フライトに参加した4機のうちの1機で、当基地には2007年に設置されました。垂直尾翼には第5術科学校を示す「V」と「シャチホコ」をアレンジした当時の飛行隊マークが描かれています。
<空自最後のレシプロエンジン機:T-3 (11-5543)>
T-3は、1978年に初飛行した富士重工業(現・SUBARU)製のレシプロ単発複座の初等練習機。1982年までに50機が製造され、T-34Aの後を継ぐ形で静浜基地の第11飛行教育団と防府北基地の第12飛行教育団に配備。また数機は岐阜基地の航空実験団(現・飛行開発実験団)にも配備されました。同機は空自最後のレシプロエンジン機として活躍し、事故等で抹消された機体はゼロ。2007年4月までに全機が引退し、現在は国内各地に本機を含めて17機のT-3が展示されています。本機は1981年に納入され、2007年に用廃となった機体。垂直尾翼には最後に所属していた飛行開発実験団のマークが描かれています。
<三代目の救難ヘリコプター:S-62 (63-4776)>
S-62は航空自衛隊としてはH-19C、H-21Bに次ぐ三代目の救難ヘリコプターです。三菱重工でライセンス生産された機体で、1963年から1983年の間に全国で9機が活躍しました。現在では浜松広報館、小牧基地、美保基地に各1機が残されていますが、浜松広報館の機体は2021年3月に格納されてしまったため、見ることができる機体はわずかに2機という、大変レアな機体です。本機は1966年に納入され、1983年に引退。退役後は埼玉県入間基地で展示されていましたが、2003年3月頃に当基地に移設されました。
<戦後国産初の戦闘機:F-1 (20-8260)>
超音速高等練習機T-2に対地・対艦攻撃能力を加えた、戦後初の国産ジェット戦闘機F-1。一般的には攻撃機もしくは戦闘爆撃機に相当する機体ですが、政治的な理由から日本独自の名称である支援戦闘機と呼ばれています。武装は20mm機関砲を備え、主翼下や胴体下には対艦ミサイルや爆弾等を吊るすことができました。また、翼端には空対空ミサイルを装着していました。展示機は1982年4月7日に納入され、2002年4月10日に用廃となった機体で、築城基地の第6飛行隊マークを尾翼に描いています。当基地には2003年に設置されています。
【基地南東部の3機】
基地南東部、車両入場門近くには3機の展示機があります。航空祭の場合は会場からはシャトルバスを利用して駐車場エリアに行き、約1kmを歩くか、JRで大篠津町駅まで行き、約600mを歩くことでアクセスできます。航空祭の入場時、もしくは退場時のどちらかに立ち寄るのがおすすめ。また、基地南側の鳥取県道47号線沿いにあるため、基地内に入らなくても道路越しに展示機を見ることも可能です。
<“世界で2番目に若い”ファントム:F-4EJ改 (17-8439)>
F-4ファントムは1958年に初飛行、のべ5000機以上が生産された大ベストセラー機。航空自衛隊では140機のF-4EJが配備されました。展示機はそのうちの139番目の機体で、1981年4月に納入。1995年頃に能力向上型のF-4E改へと改装され、2020年まで活躍しました。同機は下3桁の機体番号「439」にちなみ「与作」と呼ばれ親しまれた機体。また、ファントムの中で最後から2番目に製造された機体でもあります。
<4月にはお色直しも! 戦後初の国産旅客機:YS-11P (02-1158)>
戦後初の国産旅客機として開発されたYS-11。航空自衛隊は13機のYS-11を導入し、人員
や物資の輸送、飛行点検といった業務に使用。現在もエンジン換装型のYS-11EBを3機、電波情報収集機として運用しています。展示機は貨物輸送型のYS-11Cとして1970年9月に納入された機体で、胴体左側後部に大きな貨物ドアがあるのが特徴。1989年頃に人員輸送型YS-11Pへと改造され、2017年頃に用廃。2018年5月から美保基地に展示されています。尾翼には第403飛行隊(美保基地)のマークが描かれています。
2025年4月には、「02-1158」の再塗装工事を終了。長年雨風にさらされ塗装が劣化していましたが、往年の姿さながらの鮮やかな塗装へとリフレッシュ。美しい姿を今後の航空祭などで収めることができそうです。
<3月で全機引退... 戦後初の国産輸送機:C-1 (38-1003)>
C-1は、川崎重工が製造した戦後初の国産中型輸送機。1965年に国産化が決定され、初号機は1970年11月12日に初飛行。31機が製造され長年日本の空で活躍しましたが、2025年3月に全機が引退しました。本機は試作機2機に続く先行量産機で、1973年12月14日に納入。約42年間にわたる活躍ののち2016年に用廃となり、美保基地で展示機としての余生を送っています。
以上、美保基地に展示されている保存機を紹介しました。今年の航空祭は残念ながら中止となりましたが、来年の航空祭や米子駐屯地祭など、次の機会を楽しみに待ちたいですね。