日本航空も導入したDC-8「空の貴婦人」、ジェット化の先駆け

日本航空も導入したDC-8「空の貴婦人」、ジェット化の先駆け

ニュース画像 1枚目:現在も現役で活躍するDC-8として有名なNASAの空飛ぶ研究所
© NASA / Jeremy Harbeck
現在も現役で活躍するDC-8として有名なNASAの空飛ぶ研究所

63年前(1958年/昭和33年)の5月30日(金)、ダグラスDC-8型が初飛行しました。アメリカのダグラス・エアクラフト社が開発した初めてのジェット機で、のちに「空の貴婦人」とまで呼ばれる人気機種として日本を含む世界の空で活躍しました。「空の貴婦人」の愛称の由来は不明ですが、その美しいフォルムの表現として定着しました。DC-8の以前には、レシプロ機の黄金期にロッキード・コンステレーションが「空の貴婦人」として親しまれました。この2機種を比べると、胴体と主翼の位置のバランスが似ているようにも見えます。

ニュース画像 1枚目:DC-8はコンステレーションから「空とぶ貴婦人」の称号を継いだ (kanade/Ryo@S.O.R.A.さん撮影)
© FlyTeam kanade/Ryo@S.O.R.A.さん
DC-8はコンステレーションから「空とぶ貴婦人」の称号を継いだ (kanade/Ryo@S.O.R.A.さん撮影)

DC-8が初飛行した時期、航空機メーカー各社が競ってジェット旅客機の開発を展開していました。ダグラスより先にボーイング707型機が1957年12月20日(金)に初飛行、ジェネラル・ダイナミクスのコンベア880型機が8カ月後の1959年1月27日(火)に初飛行しています。この3機種を手がけた航空機メーカーはご存知の通り、ダグラスがマグドネルと1967年に合併、その後にボーイングが買収。ジェネラル・ダイナミクスは民間機製造部門のコンベアを1965年に終了、現在はビジネスジェットや以前から続く軍事・防衛部門の事業を展開しています。2021年から振り返ると、ダグラスが輝いていた時期の機種とも言えそうです。

ニュース画像 2枚目:ボーイング707型機 (Gambardierさん撮影)
© FlyTeam Gambardierさん
ボーイング707型機 (Gambardierさん撮影)
ニュース画像 3枚目:コンベア880型 (Y.Todaさん撮影)
© FlyTeam Y.Todaさん
コンベア880型 (Y.Todaさん撮影)

日本でのDC-8

日本では、日本航空(JAL)が1960年7月に初号機としてDC-8-32型、機体記号(レジ)「JA8001」を導入しています。機体の愛称は「富士」として、現在もJALが機首部分を保管しており、日本初のジェット機の名残りを現在に伝えています。

ニュース画像 4枚目:現在もJALが保存するDC-8、機首部分 (Hikochanㅤさん撮影)
© FlyTeam Hikochanㅤさん
現在もJALが保存するDC-8、機首部分 (Hikochanㅤさん撮影)

JALがDC-8を選定した理由は、それまでの実績にあったとみられます。国際線の自社運航を1953年11月から開始、その機材はダグラスDC-6型機でした。DC-6は、羽田からホノルルに向かう際、ウェーク島で給油するテクニカルランディングが必要でした。1957年にDC-6Bで羽田/ホノルル間の無着陸飛行に成功し、航続距離7,400メートルのDC-7型で日本/ハワイ間を直行便で運航していました。

こうした信頼性もあり、ダグラス初のジェット機を導入し、羽田/ホノルル/サンフランシスコ線の太平洋路線に投入しました。DC-8の航続距離はおよそ7,400キロメートルでDC-7と飛行距離の性能は同等でしたが、レシプロ機からジェット化されたことで速度は大幅に改善されました。長距離巡航速度は、DC-7が時速441km、DC-8は時速850kmで、この性能の違いは長距離を移動する国際線では大きな違いを生みました。

ニュース画像 5枚目:尾翼ロゴ、鶴丸前の「JA8001」 (Y.Todaさん撮影)
© FlyTeam Y.Todaさん
尾翼ロゴ、鶴丸前の「JA8001」 (Y.Todaさん撮影)

機内テーマは「和」

スピードアップされた機体に加え、JALはDC-8のファーストクラス前方に「和」をイメージする「ラウンジ」を設けました。西陣織のシートとあわせ、「日本文化」を強くアピールする機内は、日本人だけでなく、海外の人たちも評価しました。

海外の多くの有名人が日本を訪れる際、その移動を手伝ったのもDC-8です。DC-8-53の「JA8008」が1966年6月29日(水)、初来日のビートルズを乗せて羽田空港に到着しました。ビートルズの4人がタラップを降りる際、ハッピを着用している画像が紹介されることもあります。これもJALのサービスの1つで、当時の機内で「和」を感じてもらう狙いから、「はっぴ」を貸し出していました。このサービスは2016年にJALオリジナルはっぴ「ハッピーコート」復刻版が期間限定で提供され、今後の実施も期待されるところです。

ニュース画像 6枚目:2016年に復刻版としてプレゼントされたJALオリジナルはっぴ
© JAL
2016年に復刻版としてプレゼントされたJALオリジナルはっぴ

さらに、JALは1950年代から運航する国際線機内でファーストクラス担当の客室乗務員が着物で対応するというサービスも実施していました。ただし、海外旅行自体が高価で、さらに上級クラスの利用は非常に高額な料金を払える人たちのみ。日本人でも一部、多くは海外の利用者だったと言われています。

「空の貴婦人」から「空の女王」

ニュース画像 7枚目:ビートルズを乗せたDC-8「JA8008」 (Y.Todaさん撮影)
© FlyTeam Y.Todaさん
ビートルズを乗せたDC-8「JA8008」 (Y.Todaさん撮影)

日本人の海外観光旅行が自由化され、いわゆる「パッケージツアー」の販売が1964年に始まります。それでも、第1回目の海外旅行ブームが到来するのは1970年の大阪万国博覧会、ボーイング747型のジャンボ機登場まで待たなければなりません。多くの人には憧れの対象となるようなサービスが展開されたことも、DC-8を「空の貴婦人」と呼ぶ理由になっているのかもしれません。

海外旅行ブームを牽引し、飛行機や海外を身近にした747は「空の女王」と呼ばれます。空を代表する機種が「空の貴婦人」から「空の女王」に変わり、さらに主役を演じていた747もすでに製造終了が発表されており、民間航空機を取り巻く環境は劇的に変化しています。今後、「空の貴婦人」または「空の女王」と呼ばれるような機体は、開発が進められている超音速機なのか、それとも水素を使う飛行機なのか、今後も航空機の動向が楽しみです。

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