世界初の海上空港・コンコルド飛来 歴史振り返る長崎空港 | FlyTeam ニュース

世界初の海上空港・コンコルド飛来 歴史振り返る長崎空港

ニュース画像 1枚目:1990年9月、コンコルドが長崎空港に飛来 (LEVEL789さん撮影)
1990年9月、コンコルドが長崎空港に飛来 (LEVEL789さん撮影)

長崎空港は1975(昭和50)年5月1日(木)、供用を開始しました。この飛行場は箕島を埋め立て、世界初の本格的な海上空港として開港しました。当時の「大村空港」に新たな滑走路が設けられる計画で、現在の大村航空基地が所在する大村飛行場から、長い滑走路を使用できる空港としてオープンしました。

大村空港を含む長崎空港の歴史は、1923(大正12)年に大村海軍航空隊飛行場として開設されたことが始まりです。1955(昭和30)年に旧軍施設を使用し、民間の「大村空港」と、自衛隊による軍民共用空港として運用。その後、1960年には滑走路が1,200メートル(m)に延長されました。

ニュース画像 1枚目:現在の長崎空港旅客ターミナルビル 全景 (ピーノックさん撮影)
現在の長崎空港旅客ターミナルビル 全景 (ピーノックさん撮影)
ニュース画像 2枚目:長崎空港旅客ターミナルビル、右奥には箕島大橋 (pringlesさん撮影)
長崎空港旅客ターミナルビル、右奥には箕島大橋 (pringlesさん撮影)

海上空港の着工は1972(昭和47)年。工期は40カ月とされ、それに間に合う高速施工、造成工事が進められました。この期間に空港と陸地を結ぶ箕島大橋、旅客ターミナルビル、管制塔、2,500mの滑走路(現在は3,000m)舗装など空港施設の整備も実施される大工事でした。空港用地の造成前、造成時、造成後の様子は長崎県空港活性化推進協議会のフォトギャラリーにその流れが収録されています。現在は「みしま花広場」の愛称が付く空港ビル対面にある花文字山が元の箕島の面影を残しています。

ニュース画像 3枚目:1990年9月、コンコルドが長崎空港に飛来 (LEVEL789さん撮影)
1990年9月、コンコルドが長崎空港に飛来 (LEVEL789さん撮影)

長崎空港の歴史を語る上で欠かせない出来事は、現在に至るまで唯一の超音速旅客機「コンコルド」の飛来でしょう。日本航空(JAL)がコンコルドを発注し(後にキャンセル)、1972年6月に日本に初飛来して以来、日本には羽田空港にのみ飛来していました。長崎空港には1990年9月2日(日)、9月3日(月)にかけて飛来しました。これは同年8月に開幕した「90長崎旅博覧会」に合わせ、欧州友好訪問親善団のチャーター便として運航されました。飛来したエールフランス航空の機体記号(レジ)「F-BVFF」(現在、シャルル・ド・ゴール国際空港に展示)を見るため、花文字山も開放され、多くの人がこの機体を見学しました。

海上空港の長崎空港は近隣に民家も無く、騒音も比較的問題にならないこともあったのか、羽田以外で初めて日本の空港にコンコルドがお目見えしました。地方空港の第2種空港として、コンコルドの飛来実績のある唯一の飛行場であることは特筆すべきことでしょう。

ニュース画像 4枚目:以前は747も就航していた長崎空港 (6306さん撮影)
以前は747も就航していた長崎空港 (6306さん撮影)

2016年10月6日(木)、開港以来の乗降旅客数1億人を達成。現在の長崎空港は、国内の航空会社では全日空(ANA)、日本航空(JAL)、ソラシドエア、スカイマーク、ピーチ、ジェットスタージャパン、そして長崎県の離島を結ぶオリエンタルエアブリッジ(ORC)の7社が就航しています。また、コロナ禍前までは、中国東方航空、香港エクスプレスが定期便を運航。過去には、タイ、シンガポール、マカオ、台中、台北などにチャーター便が運航された実績もあります。

ニュース画像 5枚目:長崎空港と大村飛行場の間の海に設けられたシーレーンから離水するUS-2 (モモさん撮影)
長崎空港と大村飛行場の間の海に設けられたシーレーンから離水するUS-2 (モモさん撮影)

なお、海上空港の開港後も陸地部分の滑走路は長崎空港の一部として扱われ、A滑走路と呼ばれていましたが、2011年に供用廃止され、防衛省へ移管され「大村飛行場」となりました。現在の「長崎空港」は、2011年までB滑走路とされた旅客用の3,000メートル1本を含む施設を指します。この大村飛行場と長崎空港、海上自衛隊のUS-2向けに大村湾にシーレーンが設定され、民間旅客機、自衛隊機、警察・消防などの官公庁機、自家用機などが飛来し、日本でも珍しい多彩な飛行機を見ることのできるエリアでもあります。

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